RSS

コンバットドールヒストリー

コンバットドールヒストリー

1998年8月 GUN SHOP 「COMBAT DOLL」を開店

1998年8月 GUN SHOP 「COMBAT DOLL」を開店

元々、サバゲーマー(冬眠中)だった僕は、昔のツテと仕事のツテを駆使して、営業活動をすし、修理、カスタムができる便利なガンショップとして、地元ではジワジワと浸透させて頂きました。

その頃ガン業界では、SWATやマトリックスなどの黒服や、バイオハザードなど、ゲーム中の派手なアクションが人気の中心でした。SURE FIREが流行し始めたのもこの頃からです。

マルイの電動ガンでは「UZI」が発売されたのがこの年の冬で、戦争映画は「プライベートライアン」が公開され、第2次世界大戦物が要望され始めた頃でした。

1999年 初頭より

マルイのフルオートトレーサーを使って夜戦を、推奨し始めました。

この年の秋からお客さん達の要望で、近隣チーム合同のサバゲイベントが始まり、初回で120名の参加でした。

地元のチームさんの仲間に入れてもらい、発光弾の連射の楽しさを再認識させられ、自分が楽しいと思った事を、来店のお客さんにも薦めていきました。

カスタムでは、サバゲーマーは1Jチューン、プリンキングシューターには1.4Jくらいのチューン(負担を最低限で威力の増加割合が高い)を薦めるカスタムが多かったです。エアライフルもハイパワー化が中心で、結構部品交換をしていました。(現在では違法です。)

2000年 イベントゲームが中心の年

大人数のゲームとチーム同士の交流で、地元サバゲーマーの交流が活発になり、総合的にレギュレーションが統一されてきました。

アングスさんからグレネードカートが発売され、ランチャーに注目が集まるのもこの頃でした。マルイからもショットガン式のグレネード(現在廃盤)が発売され、M-16シリーズ以外にも装着するなど、内部カスタム以外に外装のカスタムの需要も増えはじめました。

2001年後半 9.11テロ発生

夏場までは、昨年の引き続きでサバゲは活発に行なわれていましたが、9.11テロ発生で公共の場所である河川敷にて、集団の軍事行動に見えるサバゲには、一部の方々から嫌悪感のある遊びとしてとらえられるようになってしまいました。河川敷の一部に「テロ禁止」の看板が設置されるようにも・・(涙)。

大会も状況の緩和による自粛と、会場としてしようしていた場所の工事による消失で、無期限延期になりました。ゲームフィールド自体はまだまだ沢山在り、各チームごとのサバゲは問題無く行なわれていました。

全国的にはハイパワー化のカスタムが主流で、当店はその流れには乗らず、「怪我しないサバゲ」をモットーにライトチューンを薦めていました。それとこの頃からリアル装備が流行しました。ニュースなどで、現用米軍の装備が早く確認されるようになり拍車が掛かったのもこの頃です。

2002年 自粛しながらボチボチと・・・

昨年のテロの件もあり、比較的大人しくしていました。

この頃在日の外国人の方々の動きが活発で、南北アメリカ大陸・ヨーロッパ圏・韓国やニュージーランドなどの方が来店して下さるようになりました。当方語学は苦手なので、通訳の方がいないと「ボディランゲージ」と現物で対応していました。ヨーロッパ圏のサバゲの話は面白かったです。

モスカートの発売で、濃いブッシュでのジャングル戦が流行っていましたねぇ。お隣の愛知県西部では合同ゲームも開催されていました。300人くらい集まるようでした。

2003年 在日の外国人の方々が活発に!

2003年 在日の外国人の方々が活発に!

異国の地で同郷者というのは安心感があって、遊ぶ時のコミュニティーの膨らみはすごいですね。あっと言う間に人数が集まり、大規模な集団化されたサバゲグループがたくさん増えました。特に東海エリアは凄かったようです。何度か遊びにも混ぜて頂きましたが、ミリタリーごっこと言うより、ハンティングの要素が強いチームで、ドキドキが最高でした。

この頃から、一部のシリアス派向けの、20%増しのパワーチューニングガン(現在は違法)も良く製作しました。但し、遊び相手に合わせて使用銃を使い分けるように指導させて頂きました。レギュレーションは徹底してもらいました。

それとピストンのギア数を減らして、サイクルを上げるカスタム方法が出てきたのもこの年で、当店でも試行錯誤を繰り返してました。サイクルカウンターが無かったので、マガジンが何秒で空になるかを、ストップウォッチをつかって測っていました。秒間25発くらいが無難なところでしたね。

2004年 カスタムパーツの充実の年

2004年 カスタムパーツの充実の年を開店

全国的にカスタムが定着し、良い物から悪い物まで相当数が販売されるようになりました。外装品のキットも増え、カスタム内容が多様化してきました。

海外メーカー部品の流通も増えて、いろいろできるようになりました。マルイの電動ガンをベースに、販売されていない機種を作りやすくなったのもこの頃からです。G&PやG&G、その他台湾や中国のメーカーが目白押しで、いろんなM4やAKが登場し出します。

国内物はパーツの加工精度も上がってきて、組み易くなって来た分、調整し易くなり、カスタムガンの安定感もありました。またLaylaxさんのパーツの充実は、実に助かりました。ファーストさんが業界1位を不動にしたのもこの頃かと思います。

当店では、強度と精度アップのフルメタル化が流行っていたでしょうか。 まだまだ高額でしたが、組み込んでの違いの差は歴然でした。個人でのオリジナリティの主張が強くなっていたのもあって、みなさん、いろいろチョイスしていましたね。

2005年 内部より外装!!

2005年 内部より外装!!

内部チューンに上限が見え、一部のハイパワー層は、より過激な路線へ行ってしまいましたが、サバゲーマーやコレクターは外装キットにはまり込んでいた年です。台湾より、AKシリーズのキットがたくさん出てきました。

10万円前後の物も普通で、金額の感覚が激変した年です。昨年から続いた海外製品の流入で、幅広いアイテムとクオリティの高い商品群、おまけにマニアの心をくすぐるアイテムの選出には驚きでした。

当店でも、内部と外装のフルチューンで20万円前後の物が売れてしまうようになりました。カードの取り扱いをしていなかったので、現金で頂いてましたが、大金を受け取る時はドキドキしてしまいましたね(笑)。おもちゃに大金をつぎ込んで頂いて、感謝の一言でした。

2006年 暗黒期に突入・・・(涙)

前半は昨年の引き続きだったのですが、夏場より改造エアガンによる凶悪事件の多発とともに、芋づる式に一部ハイパワー改造のお店が摘発される年でした。

エアガンその物が、社会悪として見られるように・・・(涙)
国内問題にまでなって、法律まで改正されてしまう始末です。

当店自体はハイパワーを敬遠していたので、問題は無かったのですが、全国的に大打撃を受けていました。改造について、再認識させられた年であり、基本自粛方向へ移行しました。お客さんからの希望のチューニングを断る事が増えました。説得して止めさせる方法を取りました。

その分、イベントの開催を考えましたが、大人数でやるのに良い場所が無く、試しに開催した場所はセーフティーの環境に問題があった為、1回で断念。以後、フィールドを模索していく事になります。

2007年 フィールドを求めて

全国の関連業者があたふたした年です。廃業する店舗や製造業者も続出し、解散するチームもチラホラ出ていました。

当店は、法律改正の施行もあり、安全安心な場所を求めて行動しました。フィールド運営を希望する方が現れ、協力しながら計画を立て実行していきましたが、最終段階で中止に・・・(涙)。安価で利用できるように計画した為、運営上の不備が原因でした。残念です。

2008年 地元サバゲーマー苦難の年の始まり

2008年 地元サバゲーマー苦難の年の始まり・・・

河川整備の工事と雨による増水での地形変化が進み、遊ぶ場所が減り始めました。社会的に冷ややかな視線を送られるようになってしまったエアガンと、サバゲと言う戦争ごっこは、公共の場とされる河川敷では冷遇されてしまうのです。それでも過去の認知度の高い地域だったので、他の地方よりはマシだったようです。

フィールド確保に限界を感じてしまった当店では、地味に営業を続けていました。海外キットや完成品の値崩れが始まり、組み込みやチューニングがメインな状況でした。 安かろう悪かろうな物が多く出回りだしたのもこの年からです。 基本取り扱いしませんでした。泣き寝入りした方が多かったのでは? と思います。

2009年 春 問題山積

東京都八王子市で、サバゲフィールド建設にあたり、地元住民の反対が全国ニュースにまで発展して、肩身の狭い思いをしました。

サバイバルゲーマーのイメージを悪くした年です。
北関東では、どんどん新しいフィールドが立ち上げられ、サバゲの地域差がハッキリ違ってきました。

地元では、フィールドの確保が難しく、冷遇された状況は変わらず・・・。
サバゲ人口の減少を感じました。前年のリーマンショックの影響もあり、不景気の風がビュービュー吹いてました。「遊んでる場合じゃない」と言う状況でしたねぇ・・・。

ハイサイカスタムがメインチューニングのこの時期、当店はお薦めしてなかったです。狭いフィールドでの必要以上の火力は、ゲームの均衡が保てなくなり、遊びがつまらなくなる要因の一つにもなっていましたから。

だだパーツは豊富で、予算さえかければ簡単にカスタムできる内容でしたけど、当店では敬遠してた分、ノーマルとの性能差が大きいのも事実と言ったところです。地味なゲーム方法を推奨した時期でした。

2010年 いよいよ引き際か?

エアガン業界の法規スレスレで潜り抜けようとする姿勢に嫌気がさしてきたのが本音です。企業として生き残るのは大事な事だが、やり方の狡さが目立ってきていたこの業界・・・。

閉店時期を考えるも、近隣に他店も無く、当店に来てくれている方々に迷惑が掛かると思い、ズルズルとやる気のないままの営業を続けた年でした。

2011年 閉店

近隣にガンショップがオープンし、肩の荷が降りた気分になれました。半年近く様子を見て、7月に閉店。

閉店間際に好意にして下さった皆様に、サイレントカスタムを格安で提供させて頂きました。評判は上々で、「もっと早くやってくれれば!」など、ありがたい誉め言葉をたくさん頂く事ができました。ありがとうございました。

2012年 再始動!

2012年 再始動!

閉店後も、連絡を頂ける方も多く、再起を希望される声も多数あり、限定的な営業ではありますが、再度、「COMBAT DOLL」を始動させる事になりました。

新しくWEBショップもオープンして、今までとはまた違ったかたちで、頑張ってみようと思います。

ページトップへ